2022.3.26ワンハート通信

【現役葬儀屋さん】グリーフケア映画『ドライブ・マイ・カー』に感動する

『ワンハート通信』では、(有)ワンハートセレモニーの取り組みや、
スタッフの個々の活動や考えなどをご紹介してゆきます。

「今晩帰ったら、少し話せる?」
 
 

「何でわざわざそんな事聞くの?」
と、主人公は少し茶化してみるものの、
奥さんの改まったコトバに不穏な気配を感じます。
 

その話し合いを避けるように深夜に帰宅する主人公。
そして、倒れている奥さんを発見します。
くも膜下出血による突然死でした。
 

そして、
葬儀を終え、2年後―――
 


 

奥さんを亡くすまでを描いた30分超に及ぶ長い長いアバンタイトルを終え、
「ドライブ・マイ・カー」のタイトルが映し出されます。
ここからが本編の始まりです。
 

軽やかな音楽とともに、
画面には広島へ向かうロングドライブと、
オープニングクレジットが重なり映されます。
 

↑こんな映画です
 
 

葬儀屋さんの悩み

 

アカデミー賞4部門にノミネートされた映画と聞き、
「ちょい社会派の娯楽作かな」と軽い気持ちで観に行きました。
こんな重厚長大な作品だと知っていれば、多分観なかったですね(^_^;)
 

オープニングを観ながら、観賞を後悔していました。
これから主人公はめちゃくちゃ苦悶するだろうと、
想像できたからです。

 
ただ観賞後は、
葬儀屋さんの悩みにカタルシスを与えてもらいました。
結果、見ておいて良かったです(^^)
 

葬儀屋は死別に立ち会い、ご遺族に寄り添う職業です。
 

ただ、”そうありたい”と思うものの、
劇中に描かれるくも膜下での突然死や、事故、自死により
家族を失ったご遺族に寄り添うのはツラいものがあります。
 

劇中、葬儀シーンが出てきます。
主人公は喪失のショックで呆然としています。
実際の葬儀では、茫然自失で感情が無くなってしまう方もおられますし、
反対に泣き崩れて立っていられない方もいます。
 

突然家族を失うことは、残されたご遺族にとってはまさに”生き地獄”でしょうから。
 

そんなご遺族に対して、葬儀社ができることは、
ただ粛々と式をこなすのみです。
「寄り添う」などとは、とても言えません。
 

そんな歯がゆい場面に何度も立ち会っていることもあり、
「喪失」をテーマにしたドラマは敬遠しがちです。
わざわざ映画やドラマでまで、それを追体験したくないんでしょうね。
 

葬儀社の使命とは、
葬儀を通して悲しみを癒すお手伝いをすること

と個人的には考えています←イキってますね、すみません(^_^;)
 

早く悲嘆から回復される方は確かにおられます。
生前中に故人様のお世話をしっかりされた方などです。
その行為を通じて心の準備をしているのでしょう。
 

一方、突然の喪失を経験されたご遺族は、
葬儀中はもちろん、49日法要の後であっても、
回復は難しいようにお見受けします。
 

映画の本編は、奥さんを亡くした2年後が舞台です。
が、主人公はまだまだグリーフを引きずっています。
 

一般的に悲嘆からの回復には時間がかかるといわれます。
場合によっては、一生回復しないこともあるでしょう。
 

葬儀屋さんの抱える悩みとは、
そんな深い悲しみを経験されたご遺族に対して、
グリーフが回復されるまでは寄り添えないこと
です。
 

深い悲しみを負ってしまったお客様を数多く見ていますが、
「いつかまた普段の日常がもどること」をお祈りするしかできません。
力が及ばず「葬儀なんて無意味かも」と無力感を嚙み締めることも多々あります。
そう感じたことのある葬儀屋さんは多いと思います。
 

『ドライブ・マイ・カー』を観ておいて良かったのは、
主人公の悲嘆が回復されるまでを描いた、
いわば「グリーフケア映画」だったからです。
 
 

グリーフケアとは?

 

ここまで「深い悲しみ」「悲嘆」「喪失」「グリーフ」などのコトバを、
何の説明もなく使ってきました。
少し整理しておきますね。
 

上智大学 グリーフケア研究所の説明を引用します。
 

「グリーフ」とは、深い悲しみ、悲嘆、苦悩を示す言葉です。

 

「グリーフ」は、さまざまな「喪失」、すなわち、自分にとって大切な人やものや事柄を失うことによって起こるもので、何らかの喪失によってグリーフを感じるのは自然なことであります。

 

人生にはさまざまな喪失がつきまといます。最も大きな喪失は、家族やかけがえの無い人との死別です。特に災害や事件・事故、あるいは自死など、予期せぬ形で家族と死別することは、最悪の喪失体験であり、大きなグリーフとなる可能性があります。

 

1999年、世界保健機関(WHO)は、健康の定義について「身体(phisical)」、「精神(mental)」、「社会(social)」そして「スピリチュアル(spiritual)」の4つの領域があることを提案しています。

 

グリーフケアとは、スピリチュアルの領域において、さまざまな「喪失」を体験し、グリーフを抱えた方々に、心を寄せて、寄り添い、ありのままに受け入れて、その方々が立ち直り、自立し、成長し、そして希望を持つことができるように支援することです。


映画では奥さんの逝去から2年後の出来事が描かれます。
 

主人公は演劇のディレクターとして広島にやって来ます。
一見すると仕事にも復帰して、奥さんの死を乗り越えているように映りますが、
グリーフの気配が濃厚です。
 

1)主人公の衣装が黒づくめ
喪服ですよね。
まだ喪に服しているように見えます。
 

2)愛車への執着
奥さんとの思い出がつまった車ですから、思い入れはあるでしょう。
ただ、他人を同乗させない・運転させないのは思い入れを超えて執着を感じます。
 

車内でテープに吹き込んだ奥さんの声を流し続ける姿は、
奥さんとの死別が受け入れられず、時が止まっているようにも映ります。
 

3)俳優を辞めている
映画冒頭で俳優だった主人公が、奥さんの死後に俳優を辞めています。
グリーフの現れ方としては決定的です。
 


グリーフが癒されれば、上記は緩和されるでしょう。
言い換えると、
上記1)~3)を克服できれば、主人公のグリーフは回復されるということです。
 

すなわち
「俳優に戻ること」
「愛車を手放すこと」
これらがこの映画のゴール=グリーフケアの達成
なのです。
 

ただ、主人公一人の力ではそれは叶いません。
そこで主人公に寄り添うヒロインが登場します。
 
 

ドライブ・マイ・カー/寄り添うということ

 

ヒロインは、主人公の愛車を運転し、広島滞在中の主人公を送迎するプロドライバーです。
 

愛車に執着する主人公ですから、
最初は運転手の受け入れを固辞します。
 

しかし、ヒロインの運転技術を認め、
主人公は奥さんの朗読テープを流すように指示します。
他者を自身のプライベート空間(死者の声が流れる車内)に迎え入れたということです。
 

中盤、「運転手はどうか?」と尋ねられ、
主人公は次のように答えます。
 

加速と減速がとてもスムーズで、
車に乗っていることを忘れる。
運転手の存在も忘れる。
運転を任せて本当に良かった

 

絶賛ですよね。
ヒロインにありがちな人柄の良さや愛嬌ではなく、
運転技術を通して主人公に寄り添えている姿がカッコいいです。
 

「心をこめる」という言い回しがありますが、
「心をこめて運転する」とはこういうことでしょう。
 

そうして物語が進む中、
主人公とヒロインは少しずつ自身のことを語りながら、
お互いの心の距離をちぢめてゆきます。
 

当初、主人公は車の後部座席に座っています。
心の距離がちぢまった終盤、
座る位置を助手席に変え、一緒にタバコを吸ったりもします。
予告にもある印象的なシーンですね。
 


そしてクライマックス、
主人公は俳優に復帰せねばならない事態に直面します。
 

劇中、主人公は演じられない理由を次のように告白しています。
役に自分自身が引きずり出されることに耐えられなくなった。
自分を役に差し出すことができない

 

この映画において、【演じる】とは、
「仮面」をかぶってキャラを装うことではありません。
自分と役の内面を見つめ、
役に自分をゆだね、
役を生きることを意味します。
 

主人公が俳優に復帰するためには、
”奥さんの喪失”=”自身の内面”を直視しなければいけない
のです。
 

主人公はヒロインに頼みます。
上十二滝村
君の故郷を僕に見せてくれないか

、と。
 

主人公とヒロインとが単なるビジネスパートナーでなく、
コンパニオン(=旅の道連れ)に変わる瞬間です。
 

そして主人公とヒロインは広島~北海道を踏破するロングドライブに旅立ちます。
奥さん/お母さんを見殺しにしたというそれぞれの過去を直視する、
地獄のロングドライブです。
 
 

葬儀屋さんの悩みに応えてくれる映画でした

 

映画のラストでは、
俳優に復帰し舞台に立つ主人公と、
観客として舞台を見つめるヒロイン
が映されます。
 

「奥さんの喪失」というグリーフが回復され、
主人公は再び「演じる」ことに戻れたということです。
 

配偶者やお子さんを突然失ったお客様は、
また「普段の日常」を取り戻すことができるのか?
葬儀の期間中しかお客様に寄り添えない葬儀屋さんには、
それを確かめる術がなく、悩ましいトコロでした。

 

この映画では、重いグリーフも癒すことができる
と、その可能性が示されていました。
葬儀屋さん的にはそこに感動しました。
 

もちろん簡単ではありません。
 

この映画の上映時間は3時間です。
キャラクターの内面変化が自然に見えるには、
それぐらいの時間が必要だった、

と監督はインタビューで答えています。
 

グリーフの回復には時間がかかるということです。
 

そして、それには寄り添う他者も必要です。
 

ヒロインのように寄り添うことは、実際には難しいでしょう。
ただ葬儀屋さんとしては、
葬儀を通じてお客様のグリーフが少しでも回復されるよう、
「心をこめる」部分はまだまだあるなと、襟を正された思いです。
 

最期に、
主人公と同様、心に傷を負ったヒロイン。
そして映画のもう一つの主人公である車・赤いサーブ900。
ヒロインと車がどうなったのか?
それは劇場で確かめていただければと思います。
 

「回復」がテーマの本質的には明るい映画です。
コロナ禍・戦争・大地震と暗いニュースは多いですが、
元気をもらえる映画だと思いました。
 

以上、葬儀屋さん目線で観た映画『ドライブ・マイ・カー』の感想。
過去最長かもしれないダラダラと長文失礼しました。
最期までお読みいただきありがとうございます
m(_ _)m
 


3月28日 追記
本日、アカデミー賞の授賞式が行われました。
【作品賞】【監督賞】【脚色賞】【国際長編映画賞】の
4部門にノミネートされていた「ドライブ・マイ・カー」。
見事に【国際長編映画賞】を受賞しましたね。
おめでとうございます!
 

スタッフ紹介
記事を書いたスタッフ/ヒラタ
 1級葬祭ディレクター
 ツーリングが趣味のワンハートスタッフです
 たまにイキった事を書きますがご容赦下さい